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15歳で夜の街に飛び込み、圧倒的な営業力を身につけた。喧嘩の街で育ち、青春時代を水商売に捧げた青年が培った【生き抜く力】とは
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今回のゲストは、【大人の遊び場】の代表的なスポットとしても名高い、
六本木『バーレスク東京』をプロデュースする、ショー演出家のRYOTAさん。
喧嘩が文化の少年時代を送り、15歳から夜の街に飛び込んだRYOTAさんは、
どのような紆余曲折を経て、現代の豪華絢爛なショー・クラブを経営するに
至ったのでしょうか?
世間の注目を浴び続けるお店を経営する上での心掛けや、これから先の人生で
見据えている野望まで、幅広く語っていただきました。
聞き手は、NORTH VILLAGE北里洋平。
自身でも世界に20店舗ほどのシーシャバーを展開する北里が、
現代におけるビジネスのありかたや、こんな時代だからこその生き方を
RYOTAさんに伺います。大人の嗜好品・シーシャを吸いながら、
ふたりが語る、一流の大人が集う社交場の作り方とは…?
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RYOTA
大阪市生野区出身。15歳から夜の世界に飛び込み、かつてはショーダンサーとして活躍。複数店舗の経営経験を経て、東京・六本木の地に、2011年には『バーレスク東京』、2017年には
『PARTY ON』をオープン。煌びやかな衣装を纏った
女性たちによる、話題沸騰のステージ作りを手掛けている。
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北里洋平
1980年埼玉生まれ、南米チリ育ち。自伝家。慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、株式会社日立製作所に入社。会社員時代、処女作『若きサムライ、その声を聞け』を出版。27歳で結婚。第一子の誕生を機に、自伝中心の出版社NORTH VILLAGEを設立。現在は世界中に18店舗の飲食店を経営。また、出張買収24時(リサイクル事業)、東京アジト(不動産事業)、NORTH VILLAGE EDITORIAL STUDIO(オンラインサロン)など、旅をしながら遊びを仕事にするスタイルで、活躍の場を拡大中
「リアル『ビー・バップ・ハイスクール』の世界で生きてきました」
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北里 今日は、バーレスク東京のオーナー兼プロデューサーの
RYOTAさんにお越しいただきました。
いろいろとお話を伺いたいなと思っています。
僕自身もお店の経営はしていますが、RYOTAさんは70ステージぐらい上のイメージのお方です。どうやって経営されているのか、始められたときの話も含め、今日に至る経緯のお話などもお聞きできたらと思います。
そもそもRYOTAさんって、生まれはどちらなんですか?
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RYOTA 大阪市の生野区です。鶴橋とかの近くですね。土地柄を
端的に、特徴的に表すなら、「西成区か、生野区か」みたいな感じです(笑)
西成と生野は、どちちも同じ学区なんですよね。西成は日雇い労働の方やホームレスの方が多いところですが、一方で僕の実家のある生野区は、在日韓国人の方が多いところなんですよね。僕は日本の学校にいましたが、そこにも在日韓国人の3世の人たちが1/3ぐらいいるような感じでした。
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北里 そんなに多い比率なんですね。
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RYOTA それ以外にも、韓国学校や朝鮮学校などが多い地域ですね。
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北里 RYOTAさん、学生時代は、『ろくでなしブルース』世代ですか?
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RYOTA 『ビー・バップ・ハイスクール』世代でしたね。
僕、今47なんで。中1のとき、『ビー・バップ・ハイスクール』の
映画が映画館でかかっていました。
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北里 『疾風伝説 特攻の拓』なども世代じゃないですか?
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RYOTA 『特攻の拓』ね!まあ、ちょっと後ですけどね。
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北里 じゃあもう、実際にいらしたのもあんな世界ですか?
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RYOTA あんな世界ですね。
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北里 じゃあ、RYOTAさんもご多分に漏れずに。
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RYOTA そうですね(笑)。
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北里 その頃のエピソードなど、教えてください。
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RYOTA 僕は…でも、ラグビーやってて。先生が怖かったんで、
結構真面目にやってたんですよ。だから、ヤンチャしてたけど、
ほどほどスポーツ精神もあるタイプだったんです。
今もそうですけど、ファッション感覚で不良みたいなことする文化って
あるじゃないですか、タバコ吸ったり、髪染めたり、パーマ当てたり。
そういう方がカッコイイから、みたいな。
でも僕の場合は、そういうのはファッション的な意味合いでやってただけで、実際にはスポーツをやっていたので、思いっきりそこから道を外すことはなかったんですよね。
それは、良かったな、と。
多くの友達が、めっちゃ道外れていった中で(笑)
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北里 そのままその道のプロに行かれる方とかも
多いんじゃないですか?(笑)
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RYOTA 実際そうでしたね(笑)
なので、僕の場合は、そういう感じで良かったな、っていう
「高校を1ヶ月で停学になって、
15歳でそのまま夜の世界に飛び込みました」
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北里 高校まで生野にいらしたんですか?
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RYOTA そうです。僕、高校は1ヶ月くらいで辞めてしまってですね。
高校をすぐ停学になったときに、夜の仕事に誘われたんです。
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北里 …なんで停学になったんですか?(笑)
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RYOTA それは、…まあフツーに、喧嘩です(笑)
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北里 ラグビーやってたガタイのいい人が(笑)
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RYOTA ケンカもずっとやってたんで…(笑)
高校入るときに、西成の生徒も生野の生徒も、みんなが集まるんですよね。そっからはそれこそ、『クローズ』の【1年戦争】みたいな。
「まず、1番決めようぜ」みたいな感じで。喧嘩ばっかりなんですよね、入学時から。
で、入学から1週間目に、停学になって。
でも、学校行きたかったんで、「ごめんなさい、戻してください」って
戻ったんだけど、5月に、もう一回停学になって。
まだ覚えてるんですけど、5月の学校停学中のときに、
水商売にスカウトされて。
「なんとなく面白そうだな」っていうことで、
僕は、15歳で、夜の商売に入ったんですよ。
それはいわゆる六本木みたいなところではなくって。大阪の、東京でいう竹ノ塚・上野みたいな地域。六本木や新宿、渋谷じゃなくって、
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北里 ちょっと下町っぽい感じの。
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RYOTA そうですね。ちょっと下町っぽい歓楽街。そこで、
夜の仕事デビューして。そこからずーっと夜の仕事ですね。
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北里 そのときは、夜のどういうお仕事だったんですか?
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RYOTA カラオケパブですね。
その頃から僕、少年隊とか、光GENJIとか、マイケル・ジャクソンが
好きだったんです。
それで、オーナーに言って、
「僕、カラオケのとき、ダンスやっていいですか」って了承を得たんです。で、お客さんとかと、「ちょっと少年隊やってよ」とか言って…
まあ無茶苦茶ですけど、少年隊の踊りとかをして、
お客さんを笑かしてたんですよね。
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北里 それが、いわゆるショーとかを始めるキッカケだったんですか?
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RYOTA そうですね。
「超有名な、超イケてる、
日本一のグループで働くのはチョロかった」
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北里 そのお仕事は、何年ぐらい続けてたんですか?
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RYOTA そこにいたのは2年ぐらいですね。それからは、
マハラジャっていうディスコで…。当時、マハラジャグループっていう
ところの店舗が全国に150件ぐらいあったんですよね。時を同じくして、時代はバブルの全盛期だったんです。
そういった時期に、僕も、東京で言えば今は上野にいるけど、
いつか六本木、渋谷、新宿みたいな場所で働きたいな、と思っていて、
それくらいの感覚で、大阪のミナミに行きたいなと思ったんです。
そこに出店していた、全国区のマハラジャグループ…あの、超有名な、
超イケてる、日本一のマハラジャグループに、入りたい! っていうことで、そこに入りました。
僕はディスコ部門じゃなくて、マハラジャグループの中の、
ショーパブ部門っていうところに入ったんです。
ジャニーズみたいな感じの男の子がショーをやって、
お客さんを呼ぶみたいなスタイルのお店ですね。
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北里 なるほど。じゃあ、ステージに立つ側になったんですね。
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RYOTA そうですね。経営者になりたいよりも、
当時は、No.1ショーダンサーになりたかったんです。
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北里 けれど、マハラジャでステージに立つって、
難しいことなんじゃないですか?
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RYOTA 確かに、競争とかはすごくありました。
けど、そんな難しいこともなかったですけどね。
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北里 とはいえ、どうやってその座を勝ち得たんですか?
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RYOTA まあ、言っても僕の場合…15からやってるんで。
結構、そこで鍛えられたんですよね。
ある種、僕がいたようなローカルなお店の方が、お客さんもいないし、
いてもキツイ方が多かったからお金もあまり使ってくれないんで。
一番最初にミナミに出たときに、
「すごく簡単だな」って思ってしまったんです。
そのとき17歳でしたけど、その前に2年間修行してるわけじゃないですか、
いわゆるキツイところで。だからミナミに入った瞬間に、
「あ、すごく簡単だな」って感じてしまったんですよ。
だからすぐに馴染めましたね。
そのとき、自分の年齢は【18】って言ってたんですけど、
「18歳なのにすごいね」とかってお客さんとかにも言われる感じで、
フツーにこなせてたんです。
だから、そのキツイ環境の2年間は、決して無駄じゃなかったな、って。
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北里 初めて「あ、簡単だな」って感じる前に、
「これがキッカケで、結果が出るようになった」みたいなコツを
掴まれてたりはしなかったんですか?
言っても、夜のそういう世界って厳しいと思うんですよ。それでも
「簡単だな」って思えるっていうことは、「あ、こういうことね」っていう、何らかのコツを掴んでるっていうことだと思うんですよね。
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RYOTA 入った当時はあんまりわかってなかったんですけど、
あとからわかったんですよ。
要は、時代はバブルで、本当に簡単だったんですよ。本当に、いわゆる
想像通りの【ジャブジャブ】してるイメージの世界だったので。
みんながお金を撒いてるような状態の中でやってたんです。
なので、逆に言ったら、夜の世界にデビューしてすぐにそこに入った
子って、深いところがあまりわかってなかったと思うんですよね。
でも僕の場合は、そういうジャブジャブした世界でも、新人であるが
ゆえにあまり相手してもらえないところで、すごくオーソドックスに、
すごく丁寧に、人よりたくさん接客したんですよね。
10万使ってもらったら、まあ当時あまりお金なかったから3万分とかは返せないですけど、3千円のものとかを何か買って、お返ししたりとか。
18歳にして、そういう、
営業マンとして当たり前のことを着実に積み重ねていって。
要は、僕ら水商売って、自分が商品で、なおかつ自分が営業マン
なんですよね。商品と営業マンを両方するんです。
で、僕の場合は18歳で新人なんで、商品としては、全然まだまだなんです。けど、僕、営業マンとしては、多分すごく長けてたと思うんですよ。
で、だったら僕は、商品としてはまだ良くないから、営業の部分で
頑張ろう、っていうところで努力したのが、
すごく上手いこといったんだと思うんですよね。
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北里 なるほど。
でも、いわゆる表のステージに立つ側の人で、もう一個、営業マンとしての自分の顔をずっと持っているって…そういう風に考えられる人自体、
なかなか少ないですよね?
やっぱり、「自分は表に立つ演者側だから」ってなってしまうと。
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RYOTA みんな、そうだったと思います。
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北里 当時のRYOTAさんの中には、もうひとり、プロデュースする側の、営業マンとしての自分がいたわけですよね。
それはもう、自然と身についた感覚だったんですか?
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RYOTA そうですね、自然と。そういう意味でも本当に、15歳からの、厳しい環境での2年間は、活きていたんだと思います。
「No.1ショーダンサーに、俺はなる!」
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北里 その後はどういった感じだったんですか?
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RYOTA そうですね、そこから、たとえば「もっとお金が欲しい」
みたいな感じだったら、多分ホストクラブあたりに行っていたと
思うんですよ。
あるいは、もっと「店長とか、経営陣になりたい」と思っていたら、
そこのお店で、店長とかを目指してたと思うんですけど。もしくは、
もっと早く小さいBARをやってみるとか。
けれど僕の場合は、次のフィールドとして何やりたいかって考えたときに、やっぱり、【No.1ショーダンサー】にすごくなりたかったんです。
それでその頃、僕も16、17歳なりに、
東京のショークラブに見学に行っていたんですけど。
当時、日本一って言われてた、A-Projectグループっていうところが
あって。のちに、六本木の『金魚』とかをプロデュースしたところですね。
そういうところの大型の、設備もすごい、いかにも何億円も
かかってそうなショークラブを、「すごいなぁ〜!」っていう感じで見てて。
で、いつかそういうところで働きたい、と思っていて。
そういうお店が、僕が21歳のときに、大阪にできたんですよ。
それで、そのタイミングでちょうどスカウトしてくれてですね。
「じゃあ、僕ぜひ働きたいです!」っていうことで、そこに入りました。
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北里 その頃は、オーナーっていう立ち位置ではなく演者さんとして、
どんどんステージのランクをアップしていってる感じだったんですね。
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RYOTA はい。芸能人とかじゃなくて、日本一の、
ショークラブのショーダンサーになりたかったんです。
全然テンションの上がらなかった、黒歴史な【自分の店】
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北里 そして、そこからどうなったんですか?
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RYOTA そこから、すごくちょっとしたことで、喧嘩して
そこも辞めてしまったんですけど。
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北里 暴力沙汰ですか?!
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RYOTA いや、もう18ぐらいで、暴力的な面はなくなってて(笑)
ただ、すごくしょうもないことで辞めてしまったんですよ。
で、行き場がなくなって。
結論として、別に経営者になりたいわけでもなかったのに、自分でお店するしかなくなったんですよ。
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北里 自分がステージに立つためには、自分で作るしかない、と。
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RYOTA ステージに立つとか、もはやそんなカッコイイことじゃなくて、もう【食べていくためには】ぐらいの感じでしたね。
で、当時別に、そんなにたくさん知り合いとかがいたわけでもないのに、なんとなく感覚として、21歳にしてすでに、普通のアルバイト募集を見て面接には行けないような気持ちになっていたんですよね。
だったらもう、「自分でするしかないな」っていう。
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北里 あー。もう、今更、自分がどこかで1からやるイメージを持てなかった、っていう。
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RYOTA はい。できなくて。それで追い込まれた感じで、
どっちかっていったら「やるしかないな」っていう感じでした。
で、21のときに、店を…華々しく【した】っていうよりは、
むしろ【してしまった】っていう感じですよね。今考えたら。
よく考えたら、無茶苦茶危なかったと思うんですよ。
本来、まだ何もわかってない時期だったのに。
やっぱり当時、もっと勉強できるようなところに行った方が、
早く成長してたと思いますね。
自分で、無茶苦茶にやってしまって。
今でいう【いい店】って、いっぱいあるじゃないですか。
それに引き換え、自分の店なんて、何もないお店で、知識も能力もないし、箱も最低の箱で。お客さんも来ないし。
…でも、なんとなく営業は得意だから、なんとなく潰れなかった、
っていう中途半端な状態で、何年間もやれてしまったっていうのは、
結局のところ僕の人生の中で、だいぶマイナスだったと思いますね。
もっとスピードよくいけた部分があったと思いますね。
むしろ潰してた方が、勉強になってたとも思うし。
そういう道じゃなくて、生意気なことを言わずにもう一回、
「日本一のどこどこのお店で働きたいな」っていう気持ちで修行する
4年間を過ごしていた方が、遥かに良かったと思いますね。
その時期が、一番自分の中で腐ってたと思います。
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北里 そうですか! 普通だったら、初めての挑戦で自分のお店をやって、なんだかんだ大変なこともありつつ、お店が潰れることをあの手この手で回避して…。って、どちらかというと、「あの頃があったからこそ、今に繋がってる」みたいに捉える方が多そうな話じゃないですか。
それがRYOTAさんは「あの時代、いらないなぁ」っていう
感じなんですね。
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RYOTA そうなんですよ。だから、
すごくもったいない4年間だったなぁって。
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北里 要は、ノープランでやったことに起因しているんですかね。
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RYOTA そうですね。
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北里 お店やるにも、初期費用がかかるじゃないですか。
その辺りは、どうしてたんですか?
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RYOTA 一番最初のお店は、同じ場所でスナックを夜中の12時か1時までやってた人がいて、その人の後で、僕が2時から借りてたんですよ。
「貸してください。家賃だけ払う形でもいいですか…?」って言って。
それでやってたんで、だから、本当に初期投資としては0円でしたね。
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北里 そういう事情もあって、続けられたんですね。
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RYOTA そうですね。最初に、3日分のお酒だけ買って。
…っていう感じでスタートしました。ほぼ0円スタートです。
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北里 そうやって、逆に、自分のやりたいようにしっかり大きく考えて
勝負してなかったのに、いろんな条件を含めてなんとかなっちゃったが
ゆえに、時間がもったいなかったな、っていう。
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RYOTA はい。そう感じていますね。
![関連書籍](../images/interview-book-list-title.png)
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著者 北里洋平 定価 ¥1,500+税
発行 NORTH VILLAGE 発売 サンクチュアリ出版
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活字と漫画が融合した新感覚【自己啓発書】
『ワルあがき』北里洋平 著
漫画・キャラクターデザイン たなか亜希夫
(『軍鶏』『迷走王ボーダー』『リバースエッジ大川端探偵社』etc)
「諦めることを、諦めた! ! 」
小学生にしてそう決意した、馬鹿がゆえに自由すぎる主人公が、
突然現れたもう一人の自分「キング」の教えを手掛かりに、
描く夢全てに片っ端からオトシマエをつけていこうとする、
果敢だが無謀一直線の、真実の物語。