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#01 【恵まれた環境】よりも【夢】が欲しくて決めた【覚悟】

自分の状況に無自覚でも、流れて生きるうち【夢】が見つかることもある。
それを引き寄せ、実現するための強い力を得るコツは、【覚悟を決める】こと

【セレブなアイドル=セレドル】としての華やかな売り出しを経て、
タレントとして引っ張りだこの人気を博し、現在は自身のファッションブランドの
プロデューサー&デザイナーとして、依然として高い発信力を誇るマリエさん。
マリエさんの語る【エシカル】や【サスティナブル】をキーワードとした暮らしぶりは、今の社会にどこか蔓延する閉塞感を脱し、新たな生活の在り方を示す指針になるように思われます。

華々しい世界の中で、マリエさんがそのような考え方に辿り着いたきっかけとは、
何だったのでしょうか? そして、その精力的な発信に込められた、強い思いとは…?
【発信者】という存在に強い憧れを持つNORTH VILLAGE代表・北里洋平が、
聞き手として、マリエさんの持つ【生き方の軸】、【ブレない意志の正体】に迫ります。

マリエ

1987年、東京生まれ。フランス系カナダ人の父と日本人の母を持つハーフで、3姉妹の末っ子。11歳からモデルとして活動し、その後【セレブなアイドル=セレドル】というキャッチフレーズで、タレントへと転向。現在はファッションブランドの
プロデュースを行いながら、オーガニック製品や、【エシカル】や【サスティナブル】などをキーワードとした暮らしに関する
発信を行なっている。

[PASCAL マリエ DESMARAIS]

北里洋平

1980年埼玉生まれ、南米チリ育ち。自伝家。慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、株式会社日立製作所に入社。会社員時代、処女作『若きサムライ、その声を聞け』を出版。27歳で結婚。第一子の誕生を機に、自伝中心の出版社NORTH VILLAGEを設立。現在は世界中に18店舗の飲食店を経営。また、出張買収24時(リサイクル事業)、東京アジト(不動産事業)、NORTH VILLAGE EDITORIAL STUDIO(オンラインサロン)など、旅をしながら遊びを仕事にするスタイルで、活躍の場を拡大中

[北里洋平公式サイト]

コロナという【ピンチ】の捉え方で【チャンス】を伸ばす

北里 今日は、マリエさんに来ていただいて。いろんなお話聞けるのを、めっちゃたのしみにしてたんですよ。

マリエ 恐縮です。

北里 僕、女友達が少ないので。この前紹介していただいて、
ノースヴィレッジで何度かシーシャ吸った時に、
「あぁ、面白い女性の方もやっぱりいっぱいいるんだなぁ」って…

マリエ 【面白い】ですか!(笑)

北里 ノースヴィレッジって、出版社やりながら、女性の本ってほとんど出したことなかったですからね。絵本はあるんだけど。
あと、今一冊、コロナの期間に選択肢が増えたことで、手掛けているものはありますね。

マリエ コロナ期間で、選択肢が増えたんですか?

北里 うち、シーシャとか飲食をやってるんで、コロナの時期どうしても営業ができなくて。「その間、スタッフ分の仕事を作らなきゃ」っていうので、「じゃあ、店舗の代わりに何か別のことをやって生き延びよう」
みたいな話になって。「それなら、本作ったことない人にも作り方をレクチャーして、一緒に作ろう」っていうことで、出版部の制作チームを増やしたんですよ。

でも、そしたら結果それで、「じゃあ、女性スタッフだからこそ作れる、【女性の本】っていうジャンルがあるんじゃないか?」っていうふうに、いろいろと本への挑戦が拡大していって。結果、すごく、チャンスが広がったというか。

マリエ じゃあ、コロナ期間中は、ひとりの社員さんも
辞めさせられることなく…?

北里 そうですね。クビっていうのは、ないかな。

マリエ それは、チームのみなさん、嬉しいんじゃないですか?

北里 でも、その当時は結構社内で、「ヤバいぞ?」っていうスイッチが入りましたね。うち、お店が20店舗近くあるから。
もう、緊急事態宣言になってから、お客さん本当にまったく来ない、
営業自体もできなくなる、みたいな状況の中で、
社内で「さぁ、どうするか」ってミーティングを、結構して。

で、その時に、とりあえず自粛して、家で大人しく過ごすか、それとも、何か今できることをやるか、みたいな話になったんですよね。

しかも、当時はいつまでその状況が続くかわからなかったので。それで、いろいろ話して社内で一致したのは、「この状況が何ヶ月も続いたら、
おそらくここから、どんどんお店とか会社とかが潰れていくよなぁ。でも、99%が潰れる状況でも、残りの1%に入れるような動きをしよう
っていうことで。それで、「もう、仕事がないんだったら作ればいい」
みたいな感じで。

そのお陰で、やれることがすごく増えて。
今回のこのインタビューも、YouTube始めたり新しくホームページ
作るっていうのも、そこから始まったんです。新しく何かを作ると、
そこに仕事が生まれるじゃないですか、っていうので、始まったんです。

マリエ わかるなぁ〜。うちもこの機会に、オンラインの方を、
もうちょっとBtoCにリーチングできるように、少しリニューアルしたりしたんですよ。
それも「もう、自分たちでやろう!」みたいな。
全部自分たちでやるからこそ、やっぱり愛着も沸いたし。
すごく変な言い方ですけど。
不安な日々も続いたけど、
「良い期間だったなぁ」って思っています。

ニュースとか見てて、レポーターの方々が町の子どもたちに、
「学校行けなくて可哀想だね。学校行きたい?」って聞いて、
「行きたい!」って返事返ってくるみたいな、やり取りあるじゃないですか。

もう、あれホンッットに、見てるのがツラくて。
絶っ対、「行きたくない!」って思ってる子どもたちの方が、
多いハズなんですよ。
私の経験上。(笑)
羨ましくてしょうがないですもん。学校に行かなくていい権利を
主張できる、その権限のある子どもたちが羨ましすぎて。
私はそっち派だったんで、子どもの時。

北里 うちの子どもも、学校、再開ってなったら
「エ〜ッ!?!マジか〜」って。(笑)

マリエ でしょー?「やっぱり、そういう子も映さないと!」
と思ったんですけど、「まぁ、無理なんだろうな」とは思いながら。(笑)

私はどっちかというと、
もう全てホームスクールで教えるべきだと思ってる派なので。
こうなったことで、全てはイイ方向に…っていったらアレですけど。
まぁ、子どもたちにとっても、新しいですよね

セレブなアイドル、【セレドル】の幼少期

北里 でもそれこそ、そういう業界にいたから
事情はいろいろわかっちゃうんじゃないですか?

例えば、わかんないっすけど、NHKのニュースとかで子どもが
「コロナ終わりか。…うわぁ、学校再開…。マジ、最悪!」とか言ってる絵。
ガッカリする小学生とかが、天を仰いでるみたいなのは、
個人的な感じで言うと、ほのぼのするじゃないですか。
そういうの、あってもいいなぁ、とは思いますけどね。
ダメなんでしょうね。(笑)

マリエ いやぁ、ホントにね。けど、ダメですね。
でもそれがただ、私が芸能人やってるから、ワイドショーだったりニュースの裏側がわかるっていうのとは、また多分違うと思うんですよね。
【知っちゃった】から、辞めたんだと思うし。…いや、別に辞めたって
言ってないんですけどね。

人間、報告以外で、何かを【辞めた】なんて言う必要ないと思ってるので。

私は、それなりに自分の気づいたことを自分で表現したいと思ったので。自分の行きたい方向に向かう流れの中で、
すごく自然と、今があるっていう感じですね。

北里 今回、結構その辺りの話もじっくり聞かせてもらいたいなぁ〜
と思って。

マリエ あはは。(笑)くだらない過去で。

北里 うち、【自伝中心の出版社】的なコンセプトでやってるんですけど。そもそものスタートの、生い立ちから、遡ってお伺いできればと。

そもそも、どんな子どもだったんですか?

マリエ 東京で生まれて。5人家族の、3姉妹の一番下で、末っ子です。まぁ、キャラの濃い2人の姉に囲まれて。そのまま東京で育つんですけど。

うちの父は、F1レーサーのアイルトン・セナっていう選手の、日本でのマネンジメントをしたりとかしてました。今、『アイルトン・セナ』
っていうDVDも出てるんですけど、
うちの父が普通に彼の横に映ってたりするんですよ。

その、F1の世界でずっと、オイルを売ったり、
レーサーの育成をしてたりとか。

北里 お父さんは日本に住まれてたんですか?

マリエ その頃はF1を追いかけて行かなきゃいけなかったんで、
ほとんどワールドワイドに動いてて、
1/3(年に)ぐらいしか日本にはいなかったですねー。

北里 そうなんですね。僕、テレビとかで知ってる昔のマリエさんのイメージっていうか印象で言うと、すっごいお嬢様。
いわゆる【セレブ】っていうか…。
そういう売り出しでしたよね?

マリエ そうです。事務所が、「【セレブなアイドル】、
略して【セレドル】みたいな感じで行こう」みたいな。

北里 じゃあまさしく、幼少期からそういう生活だったんですね。

マリエ うーん…いやぁ〜でも、周りにもっと凄い人、
他にいましたから。孫正義さんだったり、櫻井翔くんだったり、
政治家の方だったり…。

北里 じゃあ、いわゆる高級住宅街だったんですね。

マリエ 姉や私たちや、周りの子たちが行っていた学校が、
慶應とか聖心とかだったので。横を振り返ったら、
大臣の娘さんだったりとかで、「すっごい家住んでるな〜!」みたいな。

そんな世界から見たら、うちとかは別にっていう感じで。だから、
あんまり自分の家がお金持ちだとかは思わなかったですね。

あとは、もうバブルが崩壊してたんで。
姉2人はギリギリ、イイ感じに育ったんですけど、私の時にはもう、
親には借金があって。ずーっと家で、お金のことで喧嘩してるから、
貧乏だと思ってたんですよ。

北里 そうなんですね。

マリエ 親2人が、一緒に経営を担っていて。うちの母の方が、お金の計算をやって、父の方はもっとリベラルに、いろんなアイデアを出す、
みたいなカップルで。

だからもう、家に帰ってきたら「予算もないのに、こんな…!
あそこにお金返さなきゃいけないのに〜!」みたいなやり取りをしてるから、「あ、うちお金ないんだ」みたいな。子ども心に、やっぱ思うじゃないですか。

北里 まぁ、でも…ねぇ。住んでる家とか、場所とか考えたら…。

マリエ そうですねぇ…。いや〜、でもですね…。

北里 だって、俺、埼玉で生まれたから。
【無い】人は、ホントに【無かった】ですからね。(笑)
「マジで、ここに住んでんの?」みたいな人たちとか、
結構いっぱいいたんで。

マリエ それでいうと、私は何も気づかなかったですね…。
頭悪かったんでしょうね…。

北里 (笑)

【夢】を見つけるために、【有名になりたい】

北里 …で、小学校・中学校と上がって来て、
デビューはいつだったんですか?

マリエ モデルになったのは、11歳…とかかな?

北里 え、11歳ってモデルになれる歳なんですか?

マリエ スターダストっていう事務所に入って。それで、
雑誌っていうよりも、子ども向け雑誌?ディズニーの雑誌とか。
あとは、『なかよし』っていうマンガの、最初のカラーページに、
グッズと一緒に出たりとか。そういう感じでしたね。

で、そこからあれよあれよという間に、【新人アイドル】みたいなのを
やって、タレント業へ行った、みたいな。モデルになったのは、11歳…とかかな?

北里 きっかけは何だったんですか?

マリエ うちの姉が、元々モデルをやってて。で、妹なんで、
何でもマネしたくなるじゃないですか。その一環で。
街で声掛けられて、「やりまーす」って。

北里 へぇ〜…! 急にその世界に入って、どうだったんですか?

マリエ う〜ん…元々、一切、夢とかがなかったんで。

北里 まぁ、11歳で、普通なかなかないっすよね。(笑)

マリエ でも周りの子たちは、結構みんなありましたよ?
中学になっても、「私、歌手になりたい!」とか、「医者になりたい」とか、「アイドルになりたい」とか。

北里 へぇ〜!

マリエ 特に、タレント事務所に通ってるような女の子たちと一緒にいたから。もしかしたら、みんなアツい夢があったのかもしれないですね。

北里 なるほどね。じゃあ、住むエリアとかによっても子どもって、
結構違うのかもしれないですよね。

マリエ 違うと思うなぁ〜。

北里 俺のいた日本の小学校とかって多分、クラスの男子8割の将来の夢は、【ビックリマンシールのコンプリート】とか、そんな感じだった気がする。(笑)

マリエ でも、私そういう【夢がないとダメ】みたいな中で育ったんで。自分の中でどっか、後ろめたさがあったんですよ。
周りの子はみんな夢があるのに、私はどうしよう? みたいな。

それで、とにかく、「じゃあ、有名になんないと」と思って。
有名になったらもしかしたら、自分のやりたいことが見つかるかもしれないし、とか。有名になったら、とりあえず認められたってことだから、その時にできたお金で何か始めよう、とか。

とにかく【有名になる】っていうことがその時は、
「自由な権利を勝ち取る!」みたいなイメージ
でしたね。

北里 なるほど。

マリエ うちの母親とか父親とかはもう、医者か弁護士か公務員か、
あとは証券会社で働くかみたいな、そういう仕事に就きなさい、っていうタイプだったんで。「私にはちょっと無理だな」と思って。

北里 (笑)

マリエ で、じゃあとにかく有名になったら、そっから何か始まるんじゃないか、っていうところで、自分に拍車かけてやった…っていう感じですかね。

北里 へ〜。でも、スゴイっすよね。
その、「まず有名になるのがポイントだな」みたいな部分に、
自分でその時から気づいてたってことじゃないですか。
「押さえておくべきはココだな」みたいなのを掴んでたってことですよね?

マリエ 押さえておくとこ、ソコだったんですかね。
今のところ、後悔してますけどね。(笑)

北里 え、そうなんですか?

マリエ はい。(笑)

【勝負は5年。5年で芸能界を辞める】という覚悟

北里 でも、最終的にこういうことやりたいとか、
こうなりたいとかっていう時に、「まず押さえとくのココだなぁ」って、あるじゃないですか。
コレをやる時に、ポイントになるのはココだな、
壁となるのはココだな、とか。これさえクリアすれば何とでもなる、
みたいな部分って、やっぱりあると思うんですけど。
11歳の段階で、そういう風に考えたってことですもんね。

マリエ いや…一番考えたのは、18歳ですね。高校卒業すると同時に、事務所から、タレントを本腰入れてやってみるか、それとも今まで通りの契約でゆっくりやるか、みたいな話をもらって。

イコール、モデルとしてやってると、そんなにプッシュはしてくれない。けど、これまでと同じく7割の報酬がもらえるよ。
だけどタレントになると…っていう。
今はまた違いますけど、その頃の当時のタレントって、普通、
給料制だったんですよ。

北里 あ、そうなんだ。

マリエ ただ(給料は)何があっても払う、と。だけど、
そのプッシュの仕方は、やっぱりギャランティー制度でやる時とは、
全然違うんで。給料制のときは【この子に、どうストーリーを作って、
どうやって売っていくか】っていうところまで、やってくれるので。

北里 そうなんですか。

マリエ そこに取り組むか、それとも、今まで通りやって、
大学に行くのか。つまり、モデルやりながら学生続けて、
みたいな感じか。「どうする?」って言われて。で、「5年契約です」、と。

当時は私には行きたい大学があって、もうそん時には
「ニューヨークのパーソンズに行く」って決めてたので。

【5年】…。すごく悩みましたね。
「パーソンズにはこれからいつでも、いくらでも、もしかしたら40歳に
なってからでも、行けるかもしれない」と思ったけど、
「今のこの、【芸能】っていう世界で来た、1つの契約のチャンス…
どうしよっかな?」って。

もうその頃には、うちの姉がボロボロになってたんで。モデルとか、
有名になりたいっていうのを目指してたら、体も心もボロボロになっちゃったっていうのを、目の当たりに
してたんで。
姉って、一番上なんですけど。

「この業界、怖いな」と思って。特に、女性の場合だと。
【有名になる】っていうことに対してももちろん、中毒性があるし、
有名になってからも、中毒性があるな、と思ってて。

どっちにしても、人間壊れるな。けど、5年だけ、やってみよう。
せっかく、声掛けられたチャンスだから。5年だけ、やってみたって
23じゃん、と思って。
そっからまた、パーソンズ行ったっていいんだから、そん時考えよう、
と思って。ただ、もしやるって決めたら、成功してもしなくても、
5年で一回辞めよう、
と。

北里 あ、決めてたんだ。

マリエ 決めてましたね。
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『ワルあがき』北里洋平 著
漫画・キャラクターデザイン たなか亜希夫
(『軍鶏』『迷走王ボーダー』『リバースエッジ大川端探偵社』etc)

「諦めることを、諦めた! ! 」
小学生にしてそう決意した、馬鹿がゆえに自由すぎる主人公が、
突然現れたもう一人の自分「キング」の教えを手掛かりに、
描く夢全てに片っ端からオトシマエをつけていこうとする、
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