DROPOUT.PRESS
#01 フェイクだらけの世の中に中指を。

東京の波に揉まれ、9階から飛び降りても、人生はやり直せる。
絶好調な日々から堕ちても、よりラッキーに再起できる考え方

2020年で、デビュー25周年を迎える窪塚洋介さん。
その活動範囲は、日本の俳優、レゲエシンガー、ミュージック・ビデオ監督、
カメラマンと、多岐にわたっています。

一度は転落事故を経て、世間を騒がせたものの、そこから華麗なる復活劇を見せ、
まだまだ留まるところを知らない大躍進を続けている窪塚さん。
窪塚さんの、大きな事故にもめげない、大復活を成し遂げられるほどの精神力や、
強い想いはどこから来ているのでしょうか?

そのヒントになるのが、2018年上梓の窪塚さんの自叙伝『コドナの言葉』。
窪塚さんの心の在り方が存分に籠められた、魂から発される熱い言葉たちを、
こちらの書籍より抜粋してお届けします。

10代のイノセント

「あんた芸能界行っちゃうんじゃないの!?」
そんな母親の刷り込みがキッカケで、子どもの頃から芸能界に漠然とした憧れを
持っていた。

俺は、無垢でピュアなタイプのガキで。けど、そういう要素は大人になっても
無くしちゃいけないもんだって気がついているような、変なマセ方はしてたと思う。

「自分ってなんだろう?」
「世界ってどうなってんだろう?」
「カッコイイってなんだろう?」

こうなりたい、とか、こうあるべき、とか。イメージや哲学みたいなものが
先行しているガキだった。

今になって、やっと言葉に体や心が追いついてきてるっていうか、遅ればせながら、自分が追いついてきた感覚はある。

そんな自分を作ったきっかけ、というか転機は、良くも悪くも、芸能界。

高校行く前に決まってさ、その上で高校入ってんのね。
高校行ってるけど、もう半分気分は芸能人なんだよ。

ドア開いちゃってるから。「あっち側、俺もう入れるし。」
夢が急に叶ったことを、手探りで堪能してる感じ。

撮影中のメイクのまま学校に向かわなきゃいけない時に、電車乗ってると、
なんかすげー見られんじゃん。
「えっ?」みたいな。

それがなんか、すごい心地よい感じってゆうか。
「やっべー、俺の人生始まっちゃってる」みたいな。

「俺、高校生だけど、実はみんなとは違うことしてるんです!」
って電車の中で声を大にして言いたい気分になってた。

学校の中でも、「どーしたの、それ!?」ってチヤホヤされて。
「いや、ちょっと撮影してて」とか言うのも嬉しくてさ。

もう瞬きしてる暇ないくらい、
毎日がスリリングで、
撮影ごとに色んなこと吸収して。
ホントにスポンジみたいだったと思う。

東京のストリートカルチャーを知ったのもこの頃。
「ホントの意味で、カッコイイ」先輩たちに喰らわせられまくったおかげで、
「ホントの意味で。ヤバイ役者になりたい」って思うようになれた。

そんな中で。
なんとか人生っていうか、「答え」を見つけようと、高校の時からずーっと“言葉”を超書いてた。

やっぱ色んな本とか、音楽とか、映画とか、漫画もそうだけど、“俺は俺”っていう
メッセージって、とてつもないエネルギーを持っててさ。

高校の時、品川駅で見た、
「人としてエリートでありたい」ってゆう言葉は喰らったな。
それは今も思ってる。

あと、全ての事に無駄なことは無いって信じてた。
今も持ってるその下地みたいな考え方は、
その頃に芽生えたんだと思う。

「自分は自分だから、中途半端でも、その俺を極めたらいいや」
これが18 歳ぐらいまでの感覚かな。

上京時代

東京に来たのが19 歳くらいからだけど、社会とか世の中とか、
俺が思っていた形と全然違うなーと思った。
こんなおもしれーんだ東京、みたいな。

最初の3 年間、実家、横須賀なのに1 回も帰ってないからね。その3、4 年間は親の顔、見てないし。

ひたすら外の世界に出たいって、ずっと思ってた。

当時、周りはタクシー当たり前、みたいな感じだったけど、
俺はチャリのスピードがちょうどよくて。
漕いだ分だけ進むし、全身に風浴びるし、東京を肌で感じる時間だった。

一人暮らしを初めて、自分だけのものを持つようになるのも嬉しかった。
少しずつ買いそろえていって、大人になってる感じがしたね。

それから、色んな人との繋がり。
毎日がずーっと楽しく、お祭りみたいな気分。

そんな中、役者として初めて出演した連続ドラマがGTOだった。
世の中に俺の顔が認識されるようになった作品がこれだったと思う。
すげー反響があって。
放送された翌日とか、ホント、1 日で世界は変わるってのはあった。

けど、その一方で、「本物じゃねえ」っていうか。
今吹いてる風に騙されてはいけない、って脳内で超アラームが鳴ってるの。

それまでにストリートの先輩たちに喰らわせられまくって、
培った下地のせいかもしれないね。
だから、芸能人が集まってるクラブとかに誘われても、全然行かなかった。

自分のちょっと天邪鬼なとこが、俺をどんどんどんどん、
芸能界の外に勝手に足を運ばせていったのかなって気もする。

一人暮らしで自分で借りた家にも、あんまり帰らなかった。
友達や先輩の家を、寝泊まりしてまわってたんだよ。

ホントにふわふわ、雲みたいに生きてた。

その時その時にあるものや、その瞬間一番楽しいと感じることを、
その時期に一緒にいる仲間と、いい意味で後先なんか考えず、
思っきし堪能するのって大事だと思う。

それは、 天が用意してくれたフォーメーションみたい。
だから信じ抜く。自分の胸のドキドキを。

人生的に本当に大事なことや人って、その時期、近くにいる人だったり、
起こることだったり、たまたまの出来事だったりする。
メンバーが変わったりはするんだけど、でもそれはそれでその時にしかない、
すげー大事であることには変わりないんだよ。

十代で頭でっかちに作った下地に、色んなモンぶち込んで、肚に落としながら。
自分の中にある答えが当ってんのか間違ってんのかを、何度も何度も確かめてた。

それが、俺の上京時代。

芸能界から一時期離れたキッカケ

あるTV ドラマの撮影してる時に、監督がモニターの前で競馬新聞を読んでた。
それはTV(ドラマ)業界を去る結構なトリガーになってる。

「なんだこいつ」って、そのまんま後ろから頭引っ叩いて、
その場で辞めてやろうかなって思うぐらい。
新人だったけど。(笑)

そうゆう奴らと一緒に仕事していた時に、ここは俺がいる場所じゃねーやって思った。
辞めようって思った。

その時期、色々重なっちゃったんだよね。
ブラックミュージック聴きだしたタイミングと、
自問自答する日々と、それまでの自分の歴史と、現実の芸能界について思うこと。
ぜんぶが、シンクロしちゃって。

リアルじゃねーじゃん、って。
フェイクな物を作ってるんだからリアルにやろーぜって。
フェイクがフェイクやってどーすんだよって。

でも、世の中リアルリアルの大合唱。
リアルじゃなかったら意味ねーぜみたいな。
で、俺がやってることリアルじゃねーよなーって。
作り物だよなーって。
ってゆう自問自答してる時だったから。

今となってはね、
「いや、だからおもしれぇんじゃん」ってなってんだけど。
作り物だからできることがあんじゃんって。
作り物をそうじゃないように見せようぜって。
それリアルなだけじゃ届かないとこまで届いて、楽しいじゃん
ってなってんだけど。

当時はちょっと疑問をもっていて。
ダッセー奴ばっかだなって思ってたし。特に同世代の芸能人に。

20 代前半はそんな気分だった。

しなやかに、豊かに。あるがまま。

その役の本質や、作品の持つメッセージの本質を理解せず、
もしくは理解しようともせず、
事務所が選んだベルトコンベアーから流れてくる仕事を、
自分が選んだみたいな顔してやっつけながら、
取材でここぞとばかりに役者然としたことだけノウノウとくっちゃべって、
上っ面な表現者を演じ続ける役者には虫酸が走るよ。

特に実在の人物を演じる時には敬意を払うべきだと思う。
その本質、思いに。

この時代に伝えるべき本当に大切なことを誤魔化して、もしくは理解しなかったら、
てめぇの身の保身、あわよくばてめぇの評判の為や生活の為の
パフォーマンスでしかないじゃん。 ダセぇなあて。

俺らの体に悪いモノ、精神に悪いモノが、
さも素敵なモノやイケてるモノとして、CMされて流通してる。

俺は思わずにはいられないから、こういう場所で言ってしまうんだろうな。

常識とか、植えつけられたある一定の価値観の中でしか生きられない、
自分の心の声が聞こえない人には、その程度の価値しかないと思ってる。俺にとってね。

「馬鹿を利口に、利口を馬鹿に」というコンセプトの元、
デビューから一貫して、大衆の為の現実逃避としての存在ではなく、
共に現実に挑む為の存在を目指す。

【こうでなければならない】ではなく、【こうしたい】。
皆がそうあれるように、先導、否、扇動!!

テレビ業界に中指立ててた時代のヴァイブス

話変わるけど、三代目魚武濱田成夫の言葉の強さだったり、哲学には、
引っ張られてここにいる。

テレビ業界に中指ってなったのも。
トドメ刺したのが、ストリートカルチャーってゆう。

同じこと言ってるように感じたんだよ。
自問自答した結果、心が答えを出したって感じだった。

簡単に通じる世界じゃなくて、一筋縄で通じない世界の拘り持って生きてる、
カッコイイ先輩達と、笑顔でヤーマンしたいって思ったんだよ。
素直に乾杯したいって思った。
要は、この人達をワカらせたいって思ったんだよ。

そんな俺の言葉を、聞いてほしいって思ったし、
この人達と対等に付き合えるようになりたいって思った。

一方で、映画は、役者サイドの自分にとっては、大切なアウトプットの場。
映画は自分で選んで観るものでしょ。
お客さんが観ようと思って足を運んでくれるからには、自分も燃やさなきゃって。

俺、全盛期こっからだからさ。
今が一番。今が最前線。

テレビに中指立てていた時代、確かに、自分自身に酔うってよりは、
取り巻く世界に酔ってたと思う。
その世界が俺の一挙手一投足に反応してくれるってことにもね。

9階から落ちたことは、人生をやり直す転機

ホント運が良かったって思ってる。
それを無駄にしないようにするのは、その価値を決めるのは、その後の行動。
そう、鼓動を、信じろ。

18 歳の時のノートに、「【俺は挫折したことがない】ということに挫折する」って、
面白いこと書いていて。

「オマエ、挫折通り越して、骨折してんじゃねーか!」って感じだけど。

あん時、マンションの目の前のコンビニに行こうとしたんだけど、エレベーターに乗って降りるというプロセスをすっ飛ばしちゃったんだよね。多分。(笑)

落ちたんじゃなくて、思っきし跳んでたみたいよ。

真下に落ちてたら絶対に届かないとこにある、フェンスにひっかかってたから死ななかった。
助走つけて跳んで、ギリ届くぐらいのフェンス。

ベランダにもフェンスあるし、どうやって助走つけたかわかんないけど。
まぁとにかく、全然覚えてない。

目が覚めたら、3 日経ってた。

それまで、陰陽マークの白い側の、白い側だけの最高に良い流れだった。
落っこったりした事で、こっち側の黒い部分がブワーって出てきて。
でも、それで1 個になった。みたいな。
あっ。なるほどなってバランスが取れたってゆうか。地に足ついて夢を見るみたいな。
夢と現実をごっちゃ混ぜにする重心が見つかるってゆうか。
本当の自分の人生が始まった。
文字通り、飛び込んだんだね。
自分の本当の人生に。

神さんは俺らに“喜怒哀楽”を感じる力をくれてる。

ぜんぶ大事にして味わうってゆうか。
良いのも悪いのも。
その為に俺らは、ここにいると思うし。

それはどんな味であれ、どんな大きさであれ、どんな色であれ、
それはその人の為に用意された物だし、
生まれる前に魂が約束してきてる
、みたいな。

それを感謝するために必要なコトは自分を信じる事だし、
運命を信じる事

なんだっていいよって感じじゃん。俺は俺だから。
けど、そっちに全賭けしたら、本当に運が良くなった。

天を疑わないし、天に預けるってこと。

『コドナの言葉』
著者 窪塚洋介 定価 ¥1,500+税
発行 NORTH VILLAGE 発売 サンクチュアリ出版
『コドナの言葉』
著者 窪塚洋介
定価 ¥1,500+税
発行 NORTH VILLAGE
発売 サンクチュアリ出版

「世間知らずのコドモではいられない。
かといって、世間に迎合し、夢を奪われたオトナにもなりたくない」。
そう語る窪塚さんが、自ら命名したご自身の立ち位置、「コドナ」。
世間を知りながらも無垢なピュアさを内包したままの窪塚さんだからこそ
発せる真っ直ぐな言葉の数々に、気づけば惹き込まれ、
魅せられてしまう一冊です。

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